グラフィックデザイナーだが専門学校はインテリアデザイン専攻でした
グラフックデザインに関する仕事は、元々は「仕方なく」やっている仕事だったのです。
専門学校桑沢デザイン研究所では、インテリア住宅デザインを専攻し、家具デザイナーになることを目指していました。
※就職氷河期世代、本当に就職先もなく、その後も雇ってくれる会社はありませんでしたorz
卒業後に2度の会社倒産を経験
就職氷河期だった学生時代。
これまで求人が出ていた企業(主に家具などのメーカー)に連絡するも、今年から専門学校の採用はない・採用自体今年は行わない…の返事が連続しました。
なんとかアルバイトで入った家具工場も、初めての正社員入社した建設会社も、1年ほどで倒産しました。
今だからこそ「私が桑沢卒業後ブラック企業「秋山木工」へ就職しなかった理由」のようなブラック企業に行かなくてよかったと、ブログにさえも書いておりますが、当時は「なんで秋山木工行かなかったんだろう…」と正直後悔するほどです。
友達の紹介で仕方なくDTPの仕事へ
初めて失業保険をもらいノホホンと過ごしていた頃、趣味のバイクを通じてにDTP(desktop publishingの略、Macを使って印刷物の編集)専門の派遣会社に勤務している方と友達になりました。
当時はまだ建築関係や家具に関する仕事を探していたのですが、本当に雇ってくれる会社がありません。
失業保険の給付が終わってしまうこともあり、付き合い半分で友達が勤務する派遣会社に登録し、慣れないDTPソフト…当時はQuarkExpressを必死に覚え、2社ほど派遣。化粧品メーカーでの勤務は、その後契約社員となり6年勤めました。
その後、制作会社や印刷会社と続けるけれど、ハードな仕事環境で摂食障害で体調を崩したり、上司のパワハラが酷く心身ともに病んでいました。家具や建築の仕事が今更できるとは思いもせず、だけどグラフィックデザインの仕事しかできず仕方なく続けている感じで、正直楽しいと思ったことはありません。
それでもグラフィックデザインで独立したら…
40歳で結婚し派遣に戻ろうと思ったら、そのまま妊娠出産しました。
保育園に預けるためには、すでに働いている必要があります。だけど保育園に預けない限りは、仕事を探すこともできません。そんな中でも何社かに連絡しますが、返事さえありません。
「じゃあ、自分でお客さん見つけて仕事しようか」
そんなノリと必要に迫られたフリーランスの始まりですが、桑沢入学から20年会社員実績のべ約15年の経験に無駄はありません。
会社員時代は自分のことしか見えなかった「なんのためのデザインか」が、独立したことで明確になり、お客様の悩みをデザインでどう解決するか・売り上げアップにどうすれば貢献できるかを深く考え、お客様に寄り添えるようになりました。
ずっと今の仕事をしているのかどうか分かりませんが、少なくとも今現在は、この仕事が好きで夢中で取り組んでいることを実感しています。
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・この記事を書いた竹村由佳ってどんな人?
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