うさくま堂が考える「生きるための理由」とは何か
「あーよかった♪」と思いながら死んでいくために生きるんですよ。
あくまでもうさくま堂の場合なんで、他の人は知りませんが。
※親よりも長生きして、子どもよりも先に死ねたら、あとはオマケみたいなものです。
この世に死んだことがある人はいないはず
臨死体験の経験者とかスピリチュアル的なことはわからないけど、この世にいる人って死んだことないんですよね。
それが前提。
誰だったか忘れましたが「生まれた瞬間から死に向かって生きている」と言ってました。太宰治あたり言いそうですが、どうでしょうか。学のない私にはわかりません。
でも、これが真理であって、どんなに短命でも長寿でも、生まれた瞬間からもう死に向かって時間は流れているんですよね。つまり、死ぬために生きています。
死ぬため以外に生きる目的があるなら、逆に知りたいです。
そして、死ぬ瞬間は「ああ、生きて来て良かった」「生まれて来て良かった」そう思って死ねたら本望です。
今死んでしまったら、うさくま堂は「親より先に逝ってしまう」とか「息子のランドセル姿が見たかった」とか「やりかけた仕事…お客様に申し訳ない」とか、いろいろ思うかもしれませんが、それはどちらかといえば「後悔」や「残念なこと」です。
人生80年ならば折り返して間もないけれど、生きて来てよかったと素直に思えます。
どうしたら生きて来てよかったと思えるのか
人気ブロガーかさこ氏は、講義やブログで常々「死を想え」と語っていらっしゃいます。(参考:私たちは311から生き延びたのです~死を想い、今を生きる)
また、ズバッとした物言いが人気の占い師・星見氏は直近のブログで「生きる理由やら魂の課題探しなんか時間の無駄」という記事を書かれています。
このお二方に比べたら、私はなんら情熱もなくいい加減な生き方してますが、やはりこのお二方の文章には共感します。なかなか行動力が伴わないものの、せめて命に限りあることを理解し、生かされていることを意識し、丁寧に生きていきたいと心がけています。
少なくとも夫と子どもには日々感謝の気持ちを伝え、毎日笑って夕飯を食べることを当たり前に思わず、感謝して翌朝を迎えたいものです。
ものすごく熱い想いや意思があってもなくても、生きて来てよかったと思えることは、たくさんある筈なんです。気がついてないだけで。
必ず来るであろう反論とは
こんな価値観を書くと、決まって言われるのは…
- 虐待されて幼くして殺された子どもはどうなのか
- 長い闘病生活で苦しみながら死んでいく場合はどうなのか
- 紛争地帯に生まれて人がたくさん死んでいくのを経験した人はどうなのか
私の答えはただひとつ
「しらねーよ」
だって…高度成長期の日本に生まれて、決して裕福ではないけど貧しくもない家庭に育って、いじめは経験したけど親から虐待されることもなく、大きな怪我や病気せず元気に40歳で結婚&出産したんですから。
虐待された子は殺される前は「来世覚えとけよこのタコ!」かもしれないし、戦争経験者は何かのドラマじゃないけど「私は貝になりたい」かもしれませんが、私以外のことは推測でしかありません。
少なくとも、自分の子どもは虐待せずに過保護にもならず育てたいですし、病気や怪我は将来はわからないけど今は元気なことに感謝し、維持できるよう心がけています。
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・この記事を書いた竹村由佳ってどんな人?
・うさくま堂のサービスはいくら?