上野千鶴子氏の東京大学入学式の祝辞が全く感動しない件
私、バカなんですかね(・x・;)
文章も動画も、まったく感動しませんでした。
お祝いの言葉よりも、上野千鶴子氏の自己主張じゃないですか。
後半はさておき、前半は単なるフェミニズムな主張であって、祝辞でもなんでもないんじゃないかと思ったのですが…。
そんなに女性が生きにくい社会なのか
少子化を防ぐため子どもはちゃんと産め、だけど社会進出で仕事しろ、男性も仕事だから家事もやれ…そんな社会かもしれません。だけど、「そんな社会」と決めつけていないで、自分の理想を突き抜けばいいだけじゃないかと、思わなくもありません。
たしかに女性が生きにくいことや、差別を受けることはあるでしょう。反面、女性だから優遇されたことや、助けられたこともあるはずです。
例えば…東京医科大不正入試問題について記載されています。不正であることは問題ではあります。反面、現場で医師に求められていることは男性の力が必要となることが多く、その部分を含めた労働環境の改善するほうが先のように思えます。
あるいは、受験時に男女比をあらかじめ定めておくのは、私立の学校であれば可能なはずです。女子大があるのだから、男子大学があってもおかしくはありません。
もちろん、不正自体は問題で正す必要はあります。
例えば…合コンで男性に東大生と言えない女性のことが記載されていますが、それは自意識過剰なだけでしょう。「女のクセに東大」って思う人は残念だけど常にいるでしょうが、相手を変えようとしたり、必要以上に意識せず受け流すほうが得策です。
そもそも、学歴に難癖つける男性は器が狭いだけですから、相手にする必要はありません。東大出身、聡明でしかも美人だったら羨ましい話です。嫉妬されるかもしれませんが、嫉妬する奴は、相手が東大でなくても嫉妬します。そんな相手に振り回されるのは、疲れるし時間が無駄なだけです。
本来の焦点は「支え合って生きていく」こと
この祝辞の締めくくりに
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
東京大学ホームページ:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
とあるのですが、特に最後の「弱さを認めて支え合って生きていく」というところが、本質であってほしいと感じています。その最後の一文に救われます。
ただ、そこに行き着く女性差別云々は、実にどうでもいいこと。男性であれ女性であれマイノリティーであっても、堂々と生きていけばいい。不条理なことがあっても、自分の志を持って乗り越えていきたい。
そんな風に、うさくま堂は考えています。
最後の締めくくり以外は、全く理解も想像もできないのは、所詮私に学がないからなんでしょうけど。それを言ってしまうと、学のない男性は可哀想ってことにもつながります。
でも、実際はそんなことはない。
男性だから…女性だから…という視点よりも、個人の能力としてどうなのかを考え、堂々とできる社会になってほしいものです。でも、悲しい哉「運動会の徒競走を廃止にする」ような小学校教育をやってるうちは、叶わないのかもしれません。むしろこのあたり、時代は後退しているように思います。
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