生きている間にしかできないこと〜2度目の公開ミディアムシッティングから〜

私には死後の世界は見えませんが、見える人がいる方がいることを信じる…といいますか、理解できてきました。

今年1月に開催された奄海るかさんの「公開ミディアムシッティング」に続き、7月も行って来ました。

参考:スピリチュアルとか「胡散臭いこと」と思ったけど「美しいこと」だった体験談

※上の人の声は聞こえませんが、リアル上の人はバイクが好きです(=アパートの2階に住んでいる人)

そもそも生死の違いは何なのか?

奄海さんがおっしゃるところ、一言でまとめてしまえば「肉体があるか、ないか」。

肉体があるからこそのメリットもあれば、肉体による苦痛も存在します。その苦痛がないだけに、どうやら「あちらの世界」はとても楽しく充実して過ごせるようです。

私自信が考える「生死感」みたいなものは、以前「うさくま堂が考える「生きるための理由」とは何か」に書いた通りで、死んだことないのでワカラナイからこそ生きててよかったと思えるように死んでいくことが、生きる目的であろうと思っています。

死後の世界を知らないだけに漠然とした恐怖がありましたが、この「公開ミディアムシッティング」を通じて安堵感を覚えます。もちろん、家族や友人が私より先に死んでいくことは悲しいですし、特に子どもが先に他界なんて考えられません。でも、あの世も悪くないなら順番には逆らえないのかなと思えそうです。

生きているうちが花ならば…

肉体がなくて魂だけが残るのであれば、生きているうちに疎かにしてはいけないことって何でしょう。

魂だけが残るってどういうことなのか、さすがに死んだことがないので想像できません。亡くなった方の特徴について奄海さんは見えているようですが、私には当然見えませんから想像すら難しいのです。

  • 最近続けているジョギングは肉体の疲労を伴うけれど、疲労の先にある快感が味わえないのか?
  • 肉体がそもそも存在しないなら、生きているうちにダイエットしないとダメなのか?
  • 化粧やオシャレが楽しめるのも、生きているうちなのか?
  • 死んだ者同士って、肉体がないから見えないのではないか?

生きているからできることを何もしていない

仕事や勉強は、もしかしたら死んでからもできることなんじゃないか?

もちろん生きている間に全力で、仕事や勉強に取り組むことも大切で、実際楽しいものです。

だからこそ、先にあげた「肉体に依存する行動」自分自身の身体をいたわったり、スポーツやオシャレを楽しむことや、家族・友人とのコミュニケーションを大事にすること、これらを怠ってはいけないようにも思います。

今はまだ保育園に通っている息子も日々成長し、だんだん私の手から離れていきます。それは喜ばしいことですが、淋しさもありますね。仕事や勉強に力をいれることも大切ではありますが、「かあちゃん、かあちゃん」と寄ってくる間にかまってあげないと、あっという間に「かあちゃん、あっち行け」と言われる日が来ちゃいますね。

そこに、この世に居られる時間を考えたら、本当に限られていることが実感。しかもいつまで居られるかがワカラナイのです。

 

何か挑戦したいこと、やりたいことがあるのなら、生きているうちに早く始めることが何故大切なのかを、改めて意識できました。

 

関連記事
・奄海るかさんのブログ:https://blog.enjyudou.com/
・チラシ制作事例:サイキックミディアム・大阪と東京で開催されるスピリチュアルイベント告知チラシ

 



制作の依頼ではなくても、30分のデザイン・ビジネス相談は初回無料で行なっております。お気軽にご連絡くださいませ。

お客様にしっかり届いて集客につながる広告をご提案

チラシや広告の反応が気になる方へ

効果的なチラシのデザイン作成はもちろん、どのように配るのかまで考えながら、一緒に作り上げていきましょう。

まずはお気軽にご相談ください!

・この記事を書いた竹村由佳ってどんな人?
・うさくま堂のサービスはいくら?