東京と仙台とでの生活で感じた違い
仙台というよりも、宮城県と言った方が正しいかもしれません。
東日本大震災についてのこと、今でも感じます。
うさくま堂が転勤で家族と住んでいたのは、仙台市郊外の岩切地区。多賀城市、利府町と隣接し、駅の裏手から3km四方くらいに田んぼが広がります。田んぼの先には、東仙台のマンション群が見える、新興住宅地と田園風景が入り混じった町です。
暮らしていると、確かに歩道のギャップや建物の亀裂は目に付きますが、ここで震度7強の揺れがあった場所とは思えないくらい、のんびりとした生活をしていました。
また、仙台駅周辺は再開発が進み、引越し直前には生まれ変わった美しい駅前に、住み始めた当初からも様変わりしています。
ですが、宮城ローカル番組の中では、震災に関する話題が必ず盛り込まれています。県内で最も読まれている新聞「河北新報」では、震災復興関連のニュースをまとめたページがあります。
街中だって「がんばろう宮城」「ともに、前へ 仙台」の文字はあふれています。私は当時は都内で働いており、会社から帰れない経験をしましたが、あの地震での被害が大きかった地域にいることは、体験はしていないが意識はできる状態でした。
ただ、震災の話は私からすることはなく、親しくなった友達が話してきたら聞くに止まるのが精一杯。ちょうどライターのような活動をしていたので取材協力してもらった友人もいますが、普段はどのように話をしたらいいのかわからなかったのです。
※宮城県名取市閖上・2014年撮影
夫が本社勤務に戻り仙台から東京へ引っ越して、もうすぐ1年になります。
戻った当初からしばらく、東日本大震災のこと、街の様子(とくに津波被害が大きい沿岸部)は殆ど情報として入らなくなりました。
引っ越す直前に熊本県で地震がありましたが、あまり実感がなかったのが現実です。
日本にいたら決して他人事ではない、地震や天災。
つい日常に流され忘れがちですが、いつ何が起こっても決しておかしくはないのに。
天災への備えもそうだし、毎日の生き方についてもそう。
日々、後悔することなく、全力で取り組んでいるのか。
そのことを反省しつつ、2016年3月11日に勾当台公園での追悼記念式典で感じたことを、時折思い出します。
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・この記事を書いた竹村由佳ってどんな人?
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