本当は「好きを仕事に」なんてしていない話:うさくま堂デザインが今の仕事をしている理由

「うさくまさんは、好きを仕事にしてますねー」

と、言われることは多々ありますが、本当は「好きを仕事に」なんて1mmもしてません。

長年やってるうちに「仕事が好きになった」のが正しいのです。

※生活のために仕方がなく始めたのが、今の仕事なんです(´・x・`)

最初は警察官になりたかった

物心ついた頃から、警察官になりたかったのです。小学校の卒業文集にも書いています。

具体的に言えば…

白バイ隊員になって箱根駅伝の先導をしたいから、警視庁か神奈川県警に入りたい

なりたい職業は決めていたので、いっそ中卒でなれないか…中三の進路指導で相談したことがありましが、まずは普通科の高校へ進学するように、そして今ある力を最大限ぶつけて入れる高校を目指すように指導しました。ちょっとスレた言い方をすれば、今の学力で入れるいちばん高い偏差値の高校に行っておけ…ですかね。

箱根駅伝の先導はできませんが、学生のうちにバイクの免許を取って趣味でバイク三昧!子どもができたら家族で堪能してますから、結果的には好きなことを続けています。

家具のデザイナーを目指す

高校進学後、なんとなくデザインの専門学校への進学を希望したものの、担任の先生に「ダメ元でいいから美大を受けてみれば」と言われ、美大受験の予備校へ通いました。

結果、浪人することになるのですが、浪人中に見たのが「倉俣史朗展〜夢の封印〜」です。日本を代表するインテリアデザイナー・倉俣史朗氏の追悼展でした。

参考:ときの忘れもの様Twitter

美大は浪人しても全て不合格となりますが二浪はせず、倉俣氏の母校・専門学校桑沢デザイン研究所へ進み、家具やインテリアのデザインを中心に、わりと真面目に学んでおりました。卒業後は、家具の工場や建築関係の会社で仕事をします。

しかたなく…DTPやグラフィックデザインを始めて20年

バブル弾けて就職氷河期。苦労して入った家具の工場や建築会社でしたが、25歳までに2度の倒産を経験しました。失業保険をもらいながら仕事を探すも、業界として厳しく難しかったのです。

そんな時、DTP・グラフィックデザイン専門の派遣会社の社員さんとバイクを通じて親しくなり、半ば義理で登録したところ義理でお仕事を紹介してくださいました。付け焼き刃でソフト(当時はQuarkexpressというレイアウトソフト)を必死で覚え、派遣で仕事を始めました。

生活のために仕方なく、そんな理由で始めたのが今の仕事です。

その後、化粧品メーカーに派遣され印刷管理の仕事を行い、派遣をしながら家具やインテリアの仕事を探していました。直接雇用の契約社員となったことをきっかけに、印刷物の世界へ。以後、転職を重ねながらも15年、DTPの世界が辛くも面白く感じ、結婚後の仕事もフリーでのデザインの仕事を選んだのでした。

なんとか早く抜け出してインテリアの仕事がしたかったのに、フリーランスでもこの仕事がやりたいと思え、今に至ります。

最初は好きでもなかった仕事に面白さを見出しました。

「好きを仕事に」はできなかったけど「仕事を好きになって続けている」…それが、うさくま堂デザインなのです。



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