40歳で死にたかった筈が80歳まで生きる必要を感じた理由
30代後半、もう会社でのパワハラが辛すぎて40過ぎくらいで死んでしまってもいいやと思っていたのですが、「死ぬ前にアレをやっておこう!」ちょっとやりたいことが増え続けてしまい、40歳どころか80歳近くまで元気でいなきゃダメだと気がつきました。
※そして、イヤなことは大概わすれます。新たにイヤなこともでてきますが、それも大概忘れますね(笑)
死ぬ前に「結婚」というものをしておきたかった
30歳以降は特に彼氏を必要とせず、だけど趣味がバイクだったことが幸か不幸か淋しさを感じずに、40歳を目前にしてしまいました。
私は会社でパワハラ・セクハラに耐えていましたが、当然「なんで結婚しないの」「これ以上結婚できないとヤバイよ」等言われ続けてきました。そんな中、「どうせ死ぬなら1度くらい結婚してみたい」という興味が湧いてきたのでした。
パワハラ上司の言葉に反論するように、何かあることに「誰かいいひと紹介してくださいよ」と言い続け、支社長まで巻き込んだりしました。
言霊って本当にあるのか、詳しくは「39歳彼氏なしOLから40歳で専業主婦の妊婦になる方法」で書いている流れで結婚し、寿退社したのです。
年齢的に子どもは諦めたのですが…
結婚当時で39歳、すぐに40歳になりました。
この年代からは妊娠も決して容易なことではないので、子どもは期待せず。
辛かったパワハラから解放されたものの、しばらく夫婦でバイク馬鹿一直線を目指したら、5歳年下の夫が30代のうちにこの世から旅立てたらいいかなと思っていました。
しかし、入籍後まもなく妊娠したため、まずは母子ともに健康でいることが当面の目標となりました。
そのため、子どもが一人前になるまでは、元気でいないとなぁ…と、漠然と思うように変わっていたのです。
その後はやりたいことが増え続けてきた
出産をきっかけに、やりたいことが増え続けてきました。
主に子どもの成長について自分もそばにいて見守りたい…という要求です。でも、そこから自分が「どうしたい」という欲求もどんどん出てきました。
転勤で仙台に行った時は、仙台は魅力的な街だけど死ぬ時は神奈川に戻りたいと思い、無事に神奈川…ではないけど東京に戻りました。
我が家はバイク好き家族ですので、「家族3人でバイクに乗りたい」と思っていたら、東京3年目の夏にはモトクロスバイク2台購入することになりました。
買ったら乗って終わりではなく、草レースに出てみたいと思います。自分はさておき、息子はドはまりするかもしれません。
生活力を上げるために何か変えたいと思うようになり、ずっと気になっていた国家試験に挑戦しようと決めました。いざ勉強を始めたら、難しくて無理だと思いながらも、学習期間が半年です。
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もうキリがないくらい「やってみたいこと」が増えたので、80歳くらいまで=もうあと34年は元気でいないといけません。
でもやはり究極は、子どものランドセルを探しに行き「土屋鞄」の工場見ながら、また工場見学したいなと思いました。そんな機会を得るためには、もう孫の顔を見るまでは死ぬに死ねません。
ただ、寿命だけは自分で決められないんですよね。
万一いつお迎えが来ても困らないよう、日々しっかりと生きましょう。
私はだいたい、一日置きくらいに「イケてる日」「ダメな日」を繰り返しています。
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・この記事を書いた竹村由佳ってどんな人?
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